2014年4月〜12月
フローティングボトルプロジェクトの出発点はアーカイブボックス
フローティングボトルプロジェクトの最初の出発点は、「ダンスアーカイブの手法」と題したセゾン文化財団とオン・ケンセン氏共同で行ったセミナーであった。2014年4月から12月にかけて、コンテンポラリーダンスのアーカイブの可能性とその手法について考えるセミナーとして、振付家を対象に実施された。手塚夏子はそのセミナーに参加し、他の振付家たちと共にダンスのためのアーカイブについて様々な議論を交わした。最終的に、アーカイブされた作品が他のダンスの創作者の手に渡り、再び創作されるまでの経緯をたどることで、アーカイブの方法や可能性を探り、新たなアーカイブの手法を提案するという方針に進んでいった。他のダンスの創作者に手渡すためにアーカイブされたものを「アーカイブボックス」と呼ぶこととなった。手塚は2012年初演の『私的解剖実験-6 虚像からの旅立ち』を元にアーカイブボックスを作成。
2015 年6月
「アーカイブボックス」を受け取ったのは
ヴェヌーリだった。
日本人アーティストの「アーカイブボックス」をインド由来のアーティストが受け取るプログラム「ダンスマラソン」がシンガポール国際芸術祭「Singapore International Festival of Arts (SIFA) 2015」にて行われた。
2015年6月、SIFA2015において手塚のアーカイブボックスを受け取って作品を制作したのはヴェヌーリ・ペレラというスリランカのアーティストだった。彼女は、民俗芸能の儀式をリサーチし、それを取り入れた作品を制作していた。
※ヴェヌーリの過去作品映像(準備中)
2013年〜2015年
ヨンランと手塚は日本で出会い、
ヨンランとヴェヌーリは韓国で出会っていた。
手塚はダンス批評家の武藤大佑氏を通して、民俗芸能をリサーチし作品を作っていたソ・ヨンランに出会っていた。また、ヴェヌーリは韓国での滞在制作期間にヨンランと出会っていた。
※ヨンランの過去作品映像(準備中)
手塚は、民俗芸能のリサーチを通して現代の様々な矛盾を観察するという共通点を2人に感じていた。そこで、3人でプロジェクトを開始することとなった。
2016年6月23日〜26日
スリランカのリサーチから
プロジェクトが開始された
手塚夏子はヴェヌーリ・ペレラ、ソ・ヨンランと共に「フローティングボトル」というチームを結成し、「フローティングボトルプロジェクト」を発足。最初に行ったのはスリランカでのリサーチだった。まだ助成金もなく、自腹での渡航でヴェヌーリはたくさんの地元民俗芸能を紹介してくれた。
2017年7月21日〜23日
3人それぞれの作品を上演
フローティングボトルプロジェクトは正式にセゾン文化財団の国際プロジェクト支援という助成金を得ることができ、初年度はSTスポットで3人それぞれ別の作品を上演した。手塚はアーカイブボックスの元になった作品のデュオバージョン 「私的解剖実験–6〜旅は道連れ〜」、ヴェヌーリは、手塚のアーカイブボックスによって作成しSIFA2015で上演した作品「Passport blessing ceremony 」、ヨンランは、手塚のアーカイブボックスによって作成した初めての作品「アーンケート」をそれぞれ上演した。
その後、タカハシタカカーンセイジさんと武田力さんと朽木古屋六斎念仏踊り保存会さんの協力を得て、古屋の六斎念仏踊りを3人でリサーチ。会場となるお寺をはじめ、その周辺を散歩したり、タカカーンさんと武田さんと踊りの練習をしてもらったり、お寺で地元の方の踊りを見せて頂いたりした。そしてそれについて様々なディスカッションを行った。
2018年6月末〜7月半ば
Kyoto Experiment 2018に向けて、日本で合宿
ヴェヌーリは手塚と共に糸島(福岡)での合宿を行い、たくさんのディスカッションと実験を行った。ヨンランは新しい命を身ごもり移動が難しく、インターネットを通して可能な限り議論に参加てくれた。
糸島で実験を2回行った。Studio Kuraのレジデンスアーティストや、福岡在住の友人たちが参加してくれた。
art space tetra(福岡)で小山冴子さんとトークイベントを行った。見に来てくださった方々と実験の一部を共有しながらいろいろな議論を交わした。
京都でKyoto Experimentの打ち合わせに参加し、Space bubu(京都)で小規模な参加型実験を行った。
2018年9月20日〜23日
マレーシアにて
「Jejak 旅2018Exchange」に参加
アジアのコンテンポラリーなアーティストたちが作品を発表し、交流を行う「Jejak 旅2018Exchange」は、この年2つの都市でイベントが開催された。フローティングボトルは9月にクアラルンプールでのイベントに参加した。
ヴェヌーリがFloating Bottle Project について英語でプレゼンを行い、京都で上演予定の『点にダイブする』ワークインプログレスとしてお客さんを巻き込んでの実験が行われた。最後に手塚がメインで質疑応答が行われた。
ちなみに、マレーシアでは「だるまさんがころんだ」を「虎のおじいさん今何時?」と言うそうですが、この「虎」をマレー語では「 Datuk 」と言い、動物の虎という意味だけでなく「特別な霊的な力を持った指導者」というような意味があるそうです。
2018年10月26日〜28日
Kyoto Experiment 2018
いよいよ京都での本番を迎えた
Photo by Yuki Moriya. Courtesy of Kyoto Experiment.
手塚は一週間前に京都入りし、スタッフとの顔合わせ、説明、デモンストレーションを経て、具体的な準備を行った。また、お客さんと共に実験を行うにあたっての調整が必要なため、モニターとなってくださる方を募ってのプレ実験が3回行われた。ヴェヌーリは他の仕事から移動したために直前入りになった。
本番は3日間の間に5回行われた。本番の後に毎回30分〜1時間ほどのフィードバックを行った。実験後のフィードバックでは予想以上に紛糾した。ヨンランは赤ちゃんを連れて見学に来てくれた。
また、ヴェヌーリにとってはこの年度が最後の活動となった。
京都芸術センター通信に掲載された批評文
WebマガジンREALKYOTOに掲載された批評文
Webマガジンartscapeに掲載された批評文
手塚夏子/Floating Bottle『Dive into the point 点にダイブする』 高嶋慈
また、22人の方が後日アンケート形式のフィードバックに参加してくださった。
2019年7月1日〜4日
最終年度はソウルで
ワークショップとショーイングを 行った
(c)Seoul Dance Center
ソウル舞踊センターで2週間のレジデンスを行い、『点にダイブする』を巡るワークショップとショーイングを行った。今回はヴェヌーリがタイミング合わず、手塚とヨンランで行った。
ワークショップ1日目は、体を観察するワークショップを行ったり、「あなたにとって西洋近代かとは何か?」という質問に対する答えを大きな模造紙にそれぞれ書き、それについて議論したりした。
そして、ワークショップ2日目にワークショップ生だけで実験を行い、その後でフィードバックを共有した。
※ワークショップ2日目 実験後のフィードバック(準備中)
ワークショップの3日目は「実験」をどのように改善できるか検証を行った。
その翌日のショーイングでは、その改善案を生かした実験をお客さんと一緒に行った。
そのフィードバックでは、様々な意見が飛び交いお互いに反対の意見もあったが終始楽しい雰囲気の中で行われた。
※ショーイング後のフィードバック(準備中)
また、京都での実験と、今回のワークショップの両方に参加してくれた方がいて、とても嬉しかった。彼女に、感想を書いていただいた。
2019年7月14日
2018年に京都で上演された
『点にダイブする』の検証を行った。
Kyoto Experiment 2018で上演を行った時には、思った以上に紛糾し、様々な意見が飛び交った。そこで、アンケート形式のフィードバックに答えてくださった方を中心に、検証する会を行った。8人の方が参加してくださり、賛否それぞれの意見を互いに交換することで視点の違いを確認し合う事ができた。それは、今起きている事への意見の違いや歴史認識の違いにも視点の違いを確認しあう事がまず第一歩なのだと感じる事ができた。その時の発言を記録し、まとめたものをご覧ください。
※記録まとめ(準備中)
2019年7月24日〜25日
STスポット(横浜)で、『点にダイブする』の小規模再演と検証を行った。
Floating Bottle Project『点にダイブする』再演と検証の2日間と題して、1日目に実験を、2日目に検証を行った。会場の大きさから12人が限界であった。とても小規模な再演ではあるが、恐ろしく濃密な時間となった。顔が見える範囲でぞれぞれに感じた事を話し、議論を交わしたことはとても有意義であった。
実験の最後の方で、ゲームの継続を巡るリーダーとサブリーダーおよび参加者の攻防があり、フィードバックでもその時起きたことについて様々な対話ができた。
翌日の検証では、長時間にわたり、起きたことを解剖するような充実した対話をすることができ、ゲームの別の可能性を検証した。そして実施し、非常に楽しい実験の時間となった。
また、多くの参加者がアンケート形式のフィードバックを書いてくださった。
2020年2月11日
ベルリンでの再会。そして未来へ…
アーカイブボックスの時のドラマトゥルグとして関わってくださっていた中島那奈子さんがベルリン自由大学で講義をされ、その授業の一貫で、日本人アーティストによるアーカイブボックスを学生さんが受け取るというプロジェクトがあり、手塚のアーカイブボックスも3人の学生さんのグループが受け取ってくださった。その発表会にヴェヌーリとヨンランが立ち会うためにベルリンに集合し、3人が再会した。このとき、列車の故障などで遅れがありヨンランは見ることができなかったが、3人で久しぶりに会い、3年間を振り返りながら未来について話をした。それぞれにヨーロッパで活動する期間となる予定なので、今後ヨーロッパで行えるリサーチを各自行ったり、タイミングが会うときに一緒にリサーチしたりしながら、今後の可能性を探ろうということになった。
また、その後コロナウイルスの蔓延によって、思った以上に閉塞的な状況が世界を覆っていく。世界自体がどのようなプロセスを辿っているか注視しながら、そこから刺激をうけ反応していきたい。