朽木にて、古屋の六斎念仏リサーチ
古屋の六斎念仏継承プロジェクトに関わっているタカハシタカカーンさんと武田力さんの取り計らいで、フローティングボトルの3人はこの芸能のリサーチに向かうことになりました。そして、民俗芸能調査クラブで一緒だったことのある宮内康乃さんも個人的な興味からリサーチしていて一緒になった。彼女は作曲家でもあり声明の曲を作ったこともあって仏教に関する芸能にはとても興味があるようだった。いろいろな人の視点で多角的に見ることができるのはすごくいい。この芸能にとって重要な玉泉寺というお寺をまずは訪れ、その近くにある古いお墓も皆で見学。お墓に梵字が書いてあって、これはサンスクリット語が元になっているんだと思うけれど、ヴェヌーリは「パーリ語に似ている」と言っていた。そういえばヴェヌーリの住んでいるスリランカは仏教の国と言っても過言ではない。だから仏教をめぐる話題は尽きなかった。たとえば、この芸能は「奉納」なのだけれど、奉納する先はおそらく「先祖」ということだと思う。そして、先祖に手をあわせることは英語の「pray」つまり祈るということだと私は思っていたが、ヴェヌーリの話では仏教は何かに対して「祈らない」宗教だと言う。また仏教というのは元来、先祖崇拝とはまったく違う類の、哲学にも近い宗教なので、なるほど、これはずいぶん違うのだろうか?日本では本当に様々な習合が行われていて、それが自然に感じるほどになっているのだなあと実感する。
しかし、起源としては六斎念仏は一遍上人に端を発する「踊り念仏」が起源と言われ、当時の社会からあぶれてしまった様々なマイノリティーたちが「南無阿弥陀仏」を唱えながら床を踏み抜くほどに踊り狂ったと伝えられる。そこから、様々な地へと影響を与え、阿波踊り、チャンココ、カチャーシーもその影響と言われている。つまりある時代の人々がその時代に反応することでムーブメントが生まれ、そのムーブメントがさらに様々な芸能の苗床になったと言える。阿弥陀というのは「アミターバ」といって光そのもの、というような意味であるという。そして「南無阿弥陀仏」を唱える教えは浄土宗と浄土真宗だが、これは祈るのではなく、阿弥陀様は向こうから私たちの苦しみを救ってくださる存在で、こちらから祈ったり願ったりはせず、その救ってくださることを感謝するために唱えるということだという。また、亡くなった人のことを仏さん、ということを考え合わせると、仏さんも光そのもの、アミターバと区別のない存在になり、そこに手をあわせるのは決して「祈る」ことではないとすれば、もしかしたらスリランカの仏教とそう遠くはないのかもしれない、とも思った。