再会
July 16, 2017
ヴェヌーリとヨンランはそれぞれSTスポットに姿を現した。3人の久しぶり顔合わせである。軽く打ち合わせを済ませて、夕方ホステルに到着。建物にはエレベーターもなく、大荷物を運んで4階に上がり、扉を開けると、なんと3畳の小さな畳部屋に…。あちゃ〜倹約しすぎたか?しかし、小さな台所を工夫してカレーやパスタを作って、夜は屋上で飲み会をしたり、不自由ながらも経験を共有している感じがする。そこは寿町にあって、酔っ払ったおじさんがいっぱい住んでいる。時にはヴェヌーリに向かって手を合わせ「ナマステ〜」と声をかけるおじさんがいたり。彼は「インドの人は綺麗だね〜」と感嘆の声をあげたりしていた。スリランカなんだけどね。
ヨンランの上演
July 20, 2017
ヨンランの作品は旗を使ったアンケートゲームのようでいて、「国家」や「契約」ということについて、体感したりそこで様々な違和感や嫌悪感を感じるような内容になっていた。そこをきっかけにいろいろなことを考えさせられるわけだけど、人によってはとても暴力的に感じてしまった人もいたと思う。その理由の何割かは、「国家」にまつわる暴力性なのかもしれない。観客の中に海外の方がいたり、在日韓国人の方がいたりして、彼らが韓国の国主の役をやることになるシーンがあって、その瞬間とても緊張感があった。とても考えさせられた。
ヴェヌーリの上演
July 21, 2017
ヴェヌーリの作品は、パスポートのとても弱い国であるスリランカの現状に対し、強い国である日本の側が強者として振る舞うことで、その側にいることを強烈に実感しいたたまれない気持ちになる。それでいてヴェヌーリの切実さがシャーマニスティックに演じられ、本当に儀式になってしまう凄みと怖さをはらんでいる。司祭役としてSTスポットの館長である佐藤さんが演じ、見ようによっては「男性」が「女性」に対してある種の権力があるようにも見えてくる。いろいろな側面での権威、権力、暴力が見る人の視点によって違って見えてくる作品だった。
手塚の上演
July 22, 2017
上演の合間、私の作品が終わるたびにヴェヌーリとヨンランが感想を言ってくれた。また昨日と全然違った!とかどんどん変化してる!とか、素晴らしかった!とか。とっても励みになった。作品を作るプロセスで、共演者である萩原さんの年代の生きづらさについて、つくづく考えさせられた。これは年代ということで区切るべき話ではないかもしれないが、やはり私達が生きていた時代に感じていた生きづらさとは何か、レベルが違うように感じてしまった。自分という存在が、何か外発的な要素で身を固めなければ価値を認められないような、そういう恐怖感みたいなものを抱えているように感じて、線引きの外側に旅立つという行為にはその恐怖をどう克服するのか?という問題がつきものであるようだった。私自身がどう旅たつかももちろんだが、それとともに彼の挑戦にも上演の回ごとに試行錯誤が必要であった。